信じる幸せ からあなたへお送りする
メッセージとクリスチャンの証


「信用」から「信頼」へ
メッセージ:榊原 寛 牧師
 今は銀行さえもつぶれていく時代ですから、信用金庫といわれてもどこを信用したら良いか分からなくなってしまいます。
 また今の時代は、カロログ販売とかTVショッピング等が今や一大産業となっています。その理由のひとつに「あのタレントが勧めているから」とか「あのテレビ局がやっているから間違いない」とかいう信用があるからだと言われています。
 そんな意味からでしょうか、TV番組で、国内の「ライフ・ライン」や、サンプランシスコでの「みえますか愛」の番組の後枠でも、教会の名前がテロップで流されます。
その番組のテロップをご覧になり、「テレビで案内が出ていたから心配ないと思って来ました。」と教会へおいでになる方が、少なくありません。
 ところで「信用」と言う語を、わが愛用の「新明解国語辞典」で調べると、「確かだと思ってそれに従うこと」とありました。
 聖書や教会に対して、そう思って信用してもらうことは難しいことではありませんが、「わたし自身」についてもそうありたいものです。
私たちは、キリストの証人として、キリストを証しし、キリストが確かな救い主であることを証明するために遣わされているわけです。
 次いで「信頼」という語を調べてみました。そこには、「相手方を信用して疑う気持ちはなく、任せ切りにすること」とありました。実に信用は、信頼に発展していきます。
 神の愛やキリストによる救いをどんなに一生懸命に語り、「信じてください。信用してください。」と力説しても、あなたが信用されない限り、相手は信用も信頼も抱いてくれません。
「非の打ち所のない人間になれ」ということではなく、信用され、信頼される存在になりたいということなのです。



神のあわれみで
証:林 玲子
「天の御国は、からし種のようなものです。
それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、
生長すると、どの野菜よりも大きくなり、
空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
聖書 マタイ 13章 31〜32節
 その日は「もう教会に行くのは、今日で終わりにしよう。」と決心して出席していました。
私の心の中は、不信仰にも、神への怒りで埋め尽くされていました。当時、私の実家は震災で全焼し、その後引き取った両親の精神的不安定さと日増しに悪くなる父の歩行困難に心を痛めていました。
私はどんな試練も感謝して受け入れ、平安な心のクリスチャンとしての理想像を持っていたのとは逆に、少しのことでも不安、不満を持つような惨めが自分の姿が許せなかったのだと思います。
からし種がひまわりの種になろうともがいました。もう「自分自身に限界」と思っていた時、先のみことばを牧師先生より与えられました。
その瞬間「今はつらいけれども、からし種ほどの信仰は持ち続けよう。それでも神様は受け入れてくださる。このままの姿でいい。」と思うことができ、暗い心の中に光がさしました。
また、神から離れようとした私の罪を、キリストの十字架によって贖われた時でもありました。
犠牲者の多い震災で心を痛めていましたが、我が家は、震災前よりも祝された生活が与えられました。
父が歩行困難になったことで、母を初め、私の夫の理解、多くの方々の援助は、人とのふれ合いの喜びを、家族に神様が与えて下さいました。
人の思いを超えた素晴らしい神の計画が明らかにされました。
からし種ほどの信仰で良いといわれ、私を神様のもとに導いて下さったのはキリストです。
キリストによって救われた私は、この福音を一人でも多くの方に伝えたいと思っています。
  

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