希望ある未来

まことの希望を心に持つ人
 1954年(昭和29年)9月26日、台風13号が、あの美しい津軽海峡を通過した時、国鉄(現JR)の青函連絡船「洞爺丸」を巻き込んでしまいました。洞爺丸は嵐に翻弄されて、その夜の10時40分、船の乗組員の全員に船から嵐の海に避難するよう伝えました。
 人々は船員から手渡される救命胴衣を、先を争って身につけて、海に飛び込みました。
その中で、ひとりのアメリカ人は、手渡された救命胴衣を海の中で、胴衣無しに浮いている少年に「もし助かったら、教会へ行ってあなたも天国に行ける人になって下さい。」と手渡して、海の中に沈んで行きました。
その人の名前は「ディーン・リーバー」といい、33歳の宣教師でした。この洞爺丸の物語は、「残されたもの ― ディーン・リーパー物語 ―(リブリオ出版)」という本として出版されています。
 ディーン・リーバーの話は、崇高な愛の話として伝えられましたが、当時のアメリカ人宣教師たちは、どんな時でも口を開けば「イエス様の十字架の身代わりの死によって、信じる人々は永遠のいのちが与えられます。この永遠のいのちの力によって、どんな人でもその心の中に、神の愛を実行できるようになるのです。」と伝えました。
ディーン・リーバーさんもいつも人々に伝えている、永遠の希望を持つ人の美しい生き方を、イエス様によってその人生の中で実行する人となったのです。
あなたの人生を生かす素晴らしい力は、イエス様の十字架から、あなたの心に注がれるのです。
あなたの希望の源泉は何でしょうか。
 
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
人がその友のために、生命を捨てるという、これよりも大きな愛はありません。
― ヨハネ 15章 13節 ―
この希望は、失望に終わることはありません。
神の愛が私たちの心に注がれているからです。
― ローマ 5章 5節 ―
それは御子を信じる者がひとりひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
― ヨハネ 3章 16節 ―
みことばについて
 
 
杉原通り
 リトアニアには、「杉原通り」という素晴らしい道路があるそうです。
それは、ユダヤ人皆殺し計画から脱出しようと、神の助けを信じ期待して、日本領事館に渡航ビザを申請したユダヤ人たちの中の生き残った人々が、神の助けを身を持って現わした、日本領事の杉原千畝(ちうね)氏の行為に感謝して、その記念として作られたものだそうです。
 ユダヤ人たちは、旧約聖書の「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るであろうか。私の助けは天と地を造った神より来る。」 とのみことばを今も固く信じて、たとえ残された1%の可能性にも、全力を尽くす人生を歩みます。だから神は、日本人領事の杉原氏の心を動かして、日本の外務省が反対しても、時間の許される限り、彼らの渡航ビザに署名し続けたのです。
 イエス様の十字架の力は、神が味方となって下さる人生を保証しています。その十字架の力が、人の心を動かして「神の助け」を用意されるのです。イエス様は、ご自分を信じて生きる人々に「私はあなた方を捨てて??とはしない」と、おっしゃる「常に生きて下さる救い主」です。この方に希望を託して生きる時、私たちの人生は、永遠の希望を抱いて歩むことが出来るのです。
あなたは人生に、こんな素晴らしい希望を持っていますか。
 
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。
― コリント第2 4章 8節 ―
彼らが苦しむ時には、いつも主も苦しみ、主のみ使いが彼らを救った。
― イザヤ 63章 9節 ―
この希望は、失望に終わることはありません。
神の愛が私たちの心に注がれているからです。
― ローマ 5章 5節 ―
みことばについて
 
 
ステパノの終わりの時に
 イエス様の教えは、「天国に宝を積む」ことを大切にしたものです。そのために人は、まず「天国に迎えられる」資格が必要です。
天国行きの資格のない人が、どんなに素晴らしい生き方をしても、その報いは「死」とともに消えてしまう人生だからです。
 初代教会のクリスチャンで、ステパノという人は、クリスチャンを迫害する人々から殺される時、イエス様を見つけました。すると彼の心は、天国から送られたイエス様の愛で満たされて、「この罪を彼らに負わせないで下さい。」と、イエス様の十字架の死の時と同じ祈りを捧げる人となりました。
肉体をもって生きる期間に報われなくても、天国で報いられる生き方のできる素晴らしさに感謝しつつ、その地上の生涯を天国に向かって旅立つことが出来ました。
 イエス様は、今日も私たちに、「私は道であり、真理であり、生命である。」と、呼びかけておられます。
イエス様が十字架の死と、それに続く復活によって開かれた道は、すべての人のために用意されたものです。だからイエス様を見上げて生きる人は、地上の報いよりも天国に宝として備えられる「報いなき」道を十字架を背負う苦しみさえも喜んで歩める人とされるのです。
この生き方をキリストの証し人と、聖書は教え示しています。
 
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
見よ。私は、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。
― マタイ 28章 20節 ―
私は、いのちと死、祝福と呪いを置く。あなたはいのちを選びなさい。
― 申命記 30章 19節 ―
私が行って、あなた方に場所を備えたら、また来て、あなた方を私の所に迎えます。
― ヨハネ 14章 3節 ―
みことばについて
   

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