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メッセージとクリスチャンの証


凡人の哲学
メッセージ:羽鳥 明 牧師
神は特別に凡人を愛しておられる。
そうでなければ、こんなにもたくさんの凡人をお造りになるはずがない。
― アブラハム・リンカーン ―
必要とし大切に
 愛しておられるばかりか、神は凡人を必要とし大切にしていて下さると、私は思っています。
勿論、個人的には、私たちは皆秀才、天才、リーダーでありたい、なりたいと願っているかもしれません。
でも、本当は、頭は一つで十分、二つ以上あると困ります。「船頭多くして、船 山に登る」のです。
一歩一歩、文句も言わず、重い体を運ぶ足。美味しいものは全部、一つ残らず口に運ぶ手。頭の指令通り、時を移さず、開いたり閉じたりする何百万、何千万個の毛穴の一つ一つ。みんな必要で大切なものではないでしょうか。
「私の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
― 聖書 イザヤ 43章4節 ―
さて、私たち凡人は、自分のことをどう考えたらいいのでしょうか。

2つの前提
凡人の哲学には、2つの前提があると思うのです。
第1の前提
  “自分はだめだ。”“あってもなくてもいい。”“役立たず”などと絶対考えない。
神はこの私を愛していて下さる。かけがえのない、大切なものとして必要としてくださると、積極的に受け止めること。
第2の前提
  よし俺こそはと、自分の立場や才能もわきまえず、自分だけが良くなろう、偉くなろうとする自分中心のエゴイズムからは、きっぱり脱却し、神と人とに仕えるべき人間の氏名を、はっきり認識すべきこと。
この二つではないでしょうか。

凡人哲学の各論
 さて、凡人の一人として、私が考えてみる凡人哲学の各論は何でしょうか。
1. 小事に忠実であること。
聖書も、小事に忠実でなければ大事に忠実であることは出来ないと申しています。
1タラント(聖書に記載されている貨幣価値)しか預けられていない凡人が、それでも一生懸命、その1タラントを2タラントに用いて仕えるなら立派です。
10タラントの秀才が、その10タラントを自分の肉の野望のためにのみ用いて、神と人とのために用いていないなら、惨めです。
2. 継続すること。
兎と亀のたとえ話ではありませんが、秀才が、自分の才能に溺れて、わき道へそれたり、怠けたりする例をよく耳にします。凡人の取り柄は、持続すること、継続することです。
 水車が回ったり、回らなかったりしたら、役に立ちません。継続こそ力です。大切です。必要です。
 お母さんは、全世界に何十億人もいますが、あきもせず、忘れもせず、怠けもせず赤ちゃんにオッパイをやり、おむつを取りかえる姿を創造すると、よーく、このことがわかりますネ。
3. 効くこと。
 凡人のあるべき姿勢が小さい事に忠実に、継続して神と人とに仕える事であるなら、もう一つの凡人のあるべき態度は、「主人の言うことに、よく耳を傾け聞くこと」ではないでしょうか。
 私の教えている神学校に、一人のアフリカからの老クリスチャンが訪れて、神学生たちに話してくださった事がありました。
「みなさんの仕事は、神様の愛のことば、真実なきよいことばを正しく人々の心にお届けすることです。
皆さんにとって、一番大切なことは、神様が何とおっしゃるか、よーく耳を傾けて聞くことです。」
 教師のつもりの私が、誰よりもガーンと心打たれました。
神と人とに仕える凡人の私たちは、何よりも神の言われること、人の必要にじっと耳を傾ける人であるべきですね。
「あなたがたの間で、偉くなりたいと思う者は、みな仕える人になりなさい。」
― マルコの福音書 10章43節 ―



大きな愛に答えて
証:西山 徹
 私は教育養成大学で専攻は障害児教育を学びました。
この専攻を選んだのはもちろん私自身ですが、私は大学に入るまでは全くといっていいほど障害を持った人々と接した経験はなく、街などで見かけても全く他人事のように思っているような感じでした。
 このような私が何故この道を選んだのでしょうか。
それまで私は自分の進路というものを、ただなんとなく「他の人も大学に行くので、自分も...」という安易な考えで決めようとしていました。
別に“特別何がしたい”とか、“将来何になりたい”という夢もなくただ「どこかの大学に入り、どこかの会社に入り、平凡な生活さえ出来れば...」と考えていました。
そんな時、ふと「自分は何のために生まれてきたんだろう、何をするために生まれてきたんだろう。」と考え始めました。
しかしその答えは全く見つかりませんでした。「何の目的も持たないまま生きていてもいいのだろうか。」私は悩みました。
 そんな時、聖書との出会いがありました。
それ以前にも私の両親、祖母がクリスチャンであったので、聖書に接する機会があったのですが、ただながめているだけでした。
しかしこの時、改めて聖書を読んでみると私の悩みはどこかへ消えていったように思いました。
私たちのような罪深いものにでも大きな愛を投げかけて下さる神様、この愛を知り、私の気持ちは変わりました。
「この大きな愛にほんの少しでも答えるために何かをしなければならない。」
この使命感が私を動かしました。私は「自分の為ではなく、他の人々のためになれることは?」と考え、この道を選ぶことが出来ました。
それ以前の私から考えると全く不思議な事です。しかし今では、この道を選んで本当に良かったと思っています。
 私をこの道に導いて下さった神様に感謝しています。
 

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