メッセージとクリスチャンの証 | ||||||||||||||
凡人の哲学 |
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メッセージ:羽鳥 明 牧師 |
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愛しておられるばかりか、神は凡人を必要とし大切にしていて下さると、私は思っています。 勿論、個人的には、私たちは皆秀才、天才、リーダーでありたい、なりたいと願っているかもしれません。 でも、本当は、頭は一つで十分、二つ以上あると困ります。「船頭多くして、船 山に登る」のです。 一歩一歩、文句も言わず、重い体を運ぶ足。美味しいものは全部、一つ残らず口に運ぶ手。頭の指令通り、時を移さず、開いたり閉じたりする何百万、何千万個の毛穴の一つ一つ。みんな必要で大切なものではないでしょうか。 |
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「私の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 | ||||||||||||||
― 聖書 イザヤ 43章4節 ― | ||||||||||||||
さて、私たち凡人は、自分のことをどう考えたらいいのでしょうか。 2つの前提 凡人の哲学には、2つの前提があると思うのです。
凡人哲学の各論 さて、凡人の一人として、私が考えてみる凡人哲学の各論は何でしょうか。
「みなさんの仕事は、神様の愛のことば、真実なきよいことばを正しく人々の心にお届けすることです。 皆さんにとって、一番大切なことは、神様が何とおっしゃるか、よーく耳を傾けて聞くことです。」 教師のつもりの私が、誰よりもガーンと心打たれました。 神と人とに仕える凡人の私たちは、何よりも神の言われること、人の必要にじっと耳を傾ける人であるべきですね。 |
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「あなたがたの間で、偉くなりたいと思う者は、みな仕える人になりなさい。」 | ||||||||||||||
― マルコの福音書 10章43節 ― | ||||||||||||||
大きな愛に答えて |
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証:西山 徹 |
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私は教育養成大学で専攻は障害児教育を学びました。 この専攻を選んだのはもちろん私自身ですが、私は大学に入るまでは全くといっていいほど障害を持った人々と接した経験はなく、街などで見かけても全く他人事のように思っているような感じでした。 このような私が何故この道を選んだのでしょうか。 それまで私は自分の進路というものを、ただなんとなく「他の人も大学に行くので、自分も...」という安易な考えで決めようとしていました。 別に“特別何がしたい”とか、“将来何になりたい”という夢もなくただ「どこかの大学に入り、どこかの会社に入り、平凡な生活さえ出来れば...」と考えていました。 そんな時、ふと「自分は何のために生まれてきたんだろう、何をするために生まれてきたんだろう。」と考え始めました。 しかしその答えは全く見つかりませんでした。「何の目的も持たないまま生きていてもいいのだろうか。」私は悩みました。 そんな時、聖書との出会いがありました。 それ以前にも私の両親、祖母がクリスチャンであったので、聖書に接する機会があったのですが、ただながめているだけでした。 しかしこの時、改めて聖書を読んでみると私の悩みはどこかへ消えていったように思いました。 私たちのような罪深いものにでも大きな愛を投げかけて下さる神様、この愛を知り、私の気持ちは変わりました。 「この大きな愛にほんの少しでも答えるために何かをしなければならない。」 この使命感が私を動かしました。私は「自分の為ではなく、他の人々のためになれることは?」と考え、この道を選ぶことが出来ました。 それ以前の私から考えると全く不思議な事です。しかし今では、この道を選んで本当に良かったと思っています。 私をこの道に導いて下さった神様に感謝しています。 |
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