神のことばから学ぶ、わかり易いキリスト教

門真バプテストキリスト教会では、キリスト教に興味を持っているあなたの為に、 「神のことばから学ぶ、わかり易いキリスト教(音声メッセージ)」をご用意しました。
 この「神のことばから学ぶ、わかり易いキリスト教」は、聖書のみことばから、1シリーズ2分前後の音声メッセージをお届けしています。
文章も掲載されていますので、音声放送を聞きながら共にご覧下さい。

メッセージを聞く 第1コリント人への手紙 10章31節

新約聖書 コリント人への弟1の手紙10章31節には、
「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」と神は聖書をもって人間の生き方の原点について教えています。
「神の栄光を現すために生きる」と云う、この「ために」という云う考え方は、非常に大切な考え方です。
「ために生きる」生き方とは、目的をもって生きることを意味しています。
 私が子供の頃、世の中を風刺した「のんき節」と云う歌が流行しましたが、その中でこんな歌がありました。
「のんきな父さん、お馬のおけいこ、お馬が走り出しや止まらない。子供おもしろがって、父さんとこ行くの、わたしゃ知らないお馬に聞いとくれ、へへのんきだね」と。
何の目的も持たないまま、世の中の流れに流されて仕方なく、死ぬ日まで生きる人間の哀れさを、人々は自分の心に共感を憶えながら歌いました。
 神はあなたを愛しておられます。
あなたのために、御子イエス・キリスト様を十字架に死なせることまでして下さいました。
この神の愛の素晴らしさを知った人たちは、どんな人でも「神のため、神の栄光を現すために生きる」ことを、最高の喜びと思うのは、当然な事です。

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メッセージを聞く 詩篇 73篇26節

旧約聖書 詩篇73篇26節には、「しかし神はとこしえに私の心の岩」と“私たち人間を支える御方は神です”と教えています。
「神はとこしえに私の心の岩」と云う「とこしえに私の心の岩」となるものを、人間は長い間たずね求めて来ました。エジプトのピラミッドも自分の心を永遠に支える“とこしえの心の岩”を求めて作られたものです。
 この間、大阪の釜ヶ崎にある愛燐地区で、誰にも知られないで一人ぼっちで死んだ人たちのことを、テレビで放映していました。その中の一人の方は、貯金通帳に520万円も貯金をして、表彰もされている人でした。
きっとその方は、お金だけが自分を支える「心の岩」だと考えて、食べたいものの辛抱して、一生懸命貯金に励んだことではないでしょうか。
でも、そんなに一生懸命に貯めたお金もその方が死ぬまでしか支えることが出来ませんでした。これが神なき人生の哀れな姿です。
 イエス・キリスト様は、そのような哀れな人生をたどる私たちに、とこしえへの道を備えるために、神の立場を捨てて、私たちと同じ人間として生きるために、人となられました。
ですからイエス様を“人生を導く、私たちの主”と信じる人々は、どのような人でも「神はとこしえに私の心の岩」となって下さることを体験させられるのです。

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メッセージを聞く ローマ人への手紙 1章18節

新約聖書 ローマ人への手紙1章18節を見ますと、「神の怒りが天から啓示されている」と人間が神について知っている事実について教えています。
「神の怒りが天から啓示されている」とはっきりと私たちに聖書が伝えている内容は、「神の怒り」であると告げています。
だから人々は、何とか神の怒りから救われたいと、色々な宗教にすがっているようです。
でも今まで、「私は宗教の力によって、神の怒りから救われているから感謝です。」と確信をもって教えてくれた人は一人もありません。それは神の怒りからは、どんな人であっても救われないことを知っているからです。
 昔から、こわいものは「地震、雷、火事、おやじ」と云われてきました。でも最近は、おやじはこわい存在ではなくなりましたね。でもそれらと比較できない、こわいものが神の怒りです。神の怒りを知った人は、神に喜ばれるように生活しようと心がけます。
 西行法師は「あしたまた狩りに行こう」と友と別れたその翌日、元気に別れを告げた友が、帰り道、雷がその友の上に落ちて死んだことを知り、世を捨て旅人になりましたが、神の怒りからは救われた訳ではありませんでした。
神の怒りをあなたに代わって十字架の上で死なれたイエス様を感謝の心で救い主として受け入れる人だけが、神の怒りから救われて確信と感謝をもって生きられるのです。

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メッセージを聞く 詩篇 19編1節

旧約聖書 詩篇19編1節には、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」とあります。
神は宇宙の働きを見せて、神の考え方を語っていると教えています。そして宇宙の動きを見て神の考え方を知って正しく人生を生きる人は、充実した人生を生きられることを神は知って欲しいと望んでいるのです。
宇宙の動きとは、科学の世界では「法則」と呼んでいます。この「法則」は人が変わり、世の中が変わっても変わらない永遠に続けているものです。
 神は、宇宙の中に「引力」をもってすべての星と星の間の調和を保っておられます。だから起動を外れて勝手に行動する星は「引力」の法則によって滅び失せてしまいます。どんなに美しい星でも例外はありません。
「法則」を無視して勝手に行動する時、神の立てた秩序を破壊し、他の星の滅亡さえももたらします。
 この「法則」は、私たちの世界にも共通しています。「引力の法則」を無視して勝手な行動を起こす時、私たちも星と同じ結果が待っています。
「私は神の立てた“法則”なんか嫌いだ」「私は神にも支配されたくない」と、高いビルの屋上から飛び降りてごらんなさい、結果はすぐに明らかになるでしょう。
この神の秩序を知ってお互いの幸せを守るために御子なる神イエス様が、人間同士のための「法則」として、聖書を与えて下さいました。あなたはいかがですか?

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メッセージを聞く テモテへの第2の手紙 3章15節

新約聖書 テモテへの第2の手紙3章15節には、「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることが出来るのです。」とあります。
「聖書はあなたに知恵を与えて、救いを受けさせる」とは、私たち人間に対する神による救いが、聖書の中から教えられており、私たちは聖書の教えを通してのみ、救われ続けることができると、神は約束しておられます。
その約束が「キリスト・イエスに対する信仰による」との条件が満たされた時、救いが実現すると教えています。
 私は時々、自動車を運転して全然知らないところを旅行します。
知らない土地を自動車で走る時、いつも地図を見て走ります。すると地図に書いている通りに色々な地名のところに着きます。大阪から、名神、東名の高速道路で東京に出て、環状8号を通って東北自動車道で仙台まで走ってみます。地図にある通りです。
それは地図を作った人がまず先に調べて、その通りであることを認めて印刷されているからです。
 「聖書はあなたに知恵を与えて、救いを受けさせる」とは、聖書は人生の地図のように、あなたの人生に訪れる色々な苦しみや悩みからあなたを救いに導いてくれる神からの喜びの知らせ「福音」なのです。
イエス・キリストをあなたの救主なる神と信じる時、あなたは聖書があなたの人生の確かな地図だとわかるでしょう。

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メッセージを聞く コリント人への第1の手紙 1章21節

新約聖書 コリント人への第1の手紙1章21節には、「神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して信じる者を救おうと定められたのです。」と書いてあります。
 この「宣教のことばの愚かさを通して、救う」と云う神の考え方こそ、神であられるイエス・キリスト様とはどんな方であるかを教えているからです。
イエス・キリスト様の神であることを示す、ひとつのことは現代においても「神のことば」イエス様の権威のことばである聖書のことばが、あたかも「あなたのために神が語りかけて下さる」と云うことが“ピッタリ”するようなかたちで、心の中に語りかけられるのです。
そして、その個人的に語られた神のことばは、神が責任をもって実現させて下さるのです。だから私たち人間は、神のみことばが示した通りに従うならば、誰でも“イエス様は神だ”ということが体験的にわかって来るのです。あなたも体験してみませんか?
 以前、大阪の守口市に九州から借金を払えなくて逃げて来て、隠れるように生活していた中年の男性がいました。その方が教会に来てこう私に言いました。「私に残されていることは自殺することしかない」
そこで私は云いました。「イエス様を神として認め、神のことばを受け入れて従うことも残っていますよ」と。
その結果、その人自身もびっくりするような体験によって救われました。あなたはどうですか?。

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メッセージを聞く コリント人への第1の手紙 2章9節

今日は神が準備している救いについてお話します。
新約聖書 コリント人への第1の手紙2章9節には「目で見たことのないもの、耳がまだ聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの、神が愛する者のために備えてくださったものは、みなそうである」と、神が私たちのために備えられている、救いの素晴らしさについて、そのように教えています。
一つのことを求めて、将来のために五つも六つも与えて下さる。これが愛をもって導かれる神の姿です。
 新約聖書 使途の働きというところには、こんな話が記録されています。
腹黒い商売人たちから「ワイロ」をもらって何も悪いことをしていないキリスト教の伝道者たちを捕らえた上、ムチで半殺しの目に会わせて死刑囚の入れる牢に放り込んだ役人が、そのむくいを受けて、今度は逆に自殺しなければならないことになりました。
ところが、その役人が心目覚めて、自分の行いを悔い改めて神に祈りを頼んだ時、彼のすべての罪が神によって赦されただけでなく、今まで家族の中にけんかの絶えなかったその家族にも神の愛の力が働いて、家族一同神に感謝し心から喜び合う生活が始まった。と喜んで紹介されています。
これが神を愛する人々、つまり聖書のみことばを自分のためにと受け入れ従う人々に、神が準備して下さる、神の救いの働きです。
あなたは救いを受けましたか?。

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メッセージを聞く エペソ人への 手紙2章19節

今日は、どうしたら神の素晴らしさを知ることが出来るかについてお話をしましょう。
新約聖書 エペソ人への手紙2章19節には、「あなたがたは聖徒と同じ国民であり、神の家族なのです。」と、神の素晴らしさを知る方法、つまり神の家族の一員となることだ、と教えています。
 有名な話ですが、ヨーロッパのある国に有名な無神論運動の指導者が演説して廻った時のことでした。
その指導者の特別な理論による無神論に対する質問のとき、小学生位の子供が、みかんを取り出して「おじさん、このみかんの味はどんな味かわかる?」と質問したそうです。するとその指導者が「みかんの味はね坊や、食べてみなければわかるものではないから、ひとつ頂戴な」と答えた時、すぐに小学生位の坊やがこう言ったそうです。「おじさん、神様について知らないのに、どうして神様なんかないって言うの。おじさん、みかんは食べなければ味はわからないって言ったでしょ」
この時から、この指導者は無神論運動を止めたそうです。
神は、教会を神の家族となる場としてお建てになられました。そしてイエス・キリスト様を救い主として信じた人々が神の素晴らしさを体験できるところとして備えて下さっています。
あなたも教会に来て、神の家族に加わり、神のすばらしさを体験してみませんか?。

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