神の導き

 
神の愛をもって導く道
 17世紀のイギリスが生んだ偉大で純粋な人、ジョン・バンヤンが生れ住んだ町を訪ねました。
神のことば、聖書のことばに養われたそのインスピレーションの素晴らしさに惹かれたからでした。
 イギリス国教会の非公認のまま、神からの聖書メッセージを語ることを禁じられた時がありました。それにもかかわらずジョン・パンヤンは溢れ出る神の愛ゆえに語り、何度も投獄されました。そしてとうとう12年もの刑を受けましたが、その中で彼は、あの素晴らしい『天路歴程』や『恩寵溢れる』などの不朽の明細を書きました。
当時、彼はいつも「私の書斎は牢獄の部屋でした。」と書いています。
 バンヤンは、感動的な筆の流れの中でも、ひとつのことが思い出せないままで、著作がストップした時がありました。その頃、彼を最も尊敬していた人の中に、彼が投獄されていた刑務所の所長がいました。バンヤンの筆が進まないのは、家族に会っていないためではないかと考えた所長は、独断でバンヤンを獄から出して家族の許に送りました。バンヤンは感謝しつつ、家族の許に行く途中、インスピレーションが働いて大事なことを思い出しました。
そしてすぐさま刑務所の部屋に戻って筆を執り始めました。それを見た所長は好意を無にしたバンヤンに怒りさえも憶えました。
ところがその夜、ロンドンにある刑務所の最高責任者から派遣された人々が、投獄中のバンヤンの状態を抜き打ち的に調べるため、刑務所を訪問したのです。そしてバンヤンの信用が高まりました。
「神を愛する者のために働く神はすべてのことを相働きて益とする。」ことを知った刑務所長は、感謝で一杯になってこのこの話を人に知らせ、「私もバンヤンのように、神のみことばに養われて神の導きの中に生きよう!」と決心した人々が多く起こされたそうです。
人の思いに勝った、神の愛によって導かれる人生を歩いてみませんか。
 
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
聖書はすべて、神の霊感によるもので、すべての良い働きのためにふさわしい。
― 第2テモテ 3章 17節 ―
主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたは新しい人に変えられます。
― 第1サムエル 10章 6節 ―
神がすべてのことを働かせて益としてくださる
― ローマ 8章 28節 ―
みことばについて
 
 
祈りある人を神は導く
 その日、白井牧師は頭が破裂するほどの大問題を抱えて、祈り心で一杯のまま、市役所の前の交差点を自宅目指して北に向かって歩き出しました。
すると交差点を駅に向かって西を歩いている二人連れから声をかけられました。御坊市にもうひとつある教会の岡田牧師とその知人でした。二人は白井牧師が始めたばかりの和歌山放送のラジオ番組での私の祈りの内容を語り合っている内に白井牧師と交差点で会ったのです。
直ぐ近くのコーヒー店で良き時を持ちました。その中で、白井牧師は祈りの課題として、今頭が一杯になっていることを伝えました。その内容は、誤解のために教会建設が工事中止命令を受けたことでした。「そのために「主よ、知恵を与えて下さい」と一生懸命に祈っているところです。」と辛い事情を語りました。
当時東京や大阪などで認められていた鉄筋コンクリートとブロック併用の建物について、御坊市では白井牧師の図面と計画書を設計業者が係りの人に説明できなかったため、受け付けてもらえませんでしたが、建設業者は受け付けられたと思って見込み工事を進めてしまいました。
白井牧師はそのために御坊市に呼び出されて、現状復帰するようお叱りを受けた帰りでの出会いだったのです。
造り始めた教会の建物を壊したら、血と汗の結晶で貯えた教会員の献金は無駄になり、教会は不法建築を行っていると悪い評判の発信地になろうとしています。途方にくれた思いのまま、頭の中は祈りで爆発寸前になったのは当然です。
 ところが同行してしていた岡田牧師の知人が言いました。「今から私が係りの人に白井牧師の話を説明して、私が申請書の印を押しましょう。」と。
その方は、当時の和歌山県建築士協会の事務局長をしている人でした。あっという間に一件落着して、御坊市に教会が建ちました。
 聖書は「あなた方のうち苦しんでいる者がありますか。その人は祈りなさい。」と呼びかけています。
イエス様の御名によって祈る時、神の導きと云うレールに乗せて、神の働きの素晴らしさの体験者として下さいます。
 
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。
― ヤコブ 5章 13節 ―
主はアロンに仰せられた。「荒野に行って、モーセに会え。」
― 出エジプト記 4章 27節 ―
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、、、
― 第1ヨハネ 4章 10節 ―
みことばについて
 
 
迫害者から殉教者に導いた神
 キリスト教会が誕生して間もなく、教会に大きな危機が訪れました。当時キリスト教会の人々はいつもユダヤ教の神殿や会堂に集まって活動していました。ところがユダヤ教の指導者達は、イエス・キリストを殺させた人々であったため、色々な誤解をさせてキリスト教会の働きを妨害し始めました。
 特に若き指導者サウロの教会に対する憎しみは強く、キリスト教信仰を捨てようとしない人々は殺してもよいとのお墨付きを受けて公昼堂々とキリスト教信徒たちに対して石打ちの刑を行うような恐ろしい働きを進めました。
 キリスト教徒を皆殺しにしようと、教会の集まる処を探し出してダマスコにまで来ました。
 ところがサウロは突然、天からの光に照らされ倒れて盲目となりました。イエス様が彼に会ってくださったためでした。
 サウロは倒れて目が見えなくなった時、神の罰が当たったと思いました。しかし自分の考えを否定する者への怒りから憎しみの心となったサウロが知ったイエス様は、彼を赦し、彼を信じ、彼に期待を寄せて、助け支えて下さる神の愛に満たしたいと思っておられます。
 サウロの受ける神の罰を、十字架の上で代わって受けてくださったイエス様が、サウロを罪と審きから救うために、ダマスコで彼を待っていて下さいました。サウロがこのことを知ったのは、イエス様との会話の後に導かれた、伝道者の道を歩いた時でした。
 人は誰でも罪と欲の刈り取りの苦難の道を歩みます。イエス様は、その苦しみや悲しみの道をともに歩むために、あなたの前に立たれています。
あなたがイエス様に祈るとき、イエス様がサウロに用意された、イエス様と共に歩む道をあなたも発見して、感謝の人生を歩きます。
 
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
すべての懲らしめは、かえって悲しく思われるものですが、
後になると、平安な義の実を結ばせます。
― ヘブル 12章 11節 ―
神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。。
― 詩篇 51篇 10節 ―
神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。
それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
― コリント第2 5章 21節 ―
みことばについて

   


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